主体的な地域支援の役割

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大切な知人。

この人なしに今のわたしはいない。

夫の介護の相談から始まり、夫の死後も頼りになる相談相手として障害を持つ息子のことについても相談できる、数少ない知人だ。

 

今回のお願いも快く受けてくれた。

とても忙しい人なのに。

本当は、こんな要件断ることもできただろうに。

 

「地域コミュニティの主体としてのソーシャルワーカーの役割を考察しなさい。」

 

精神保健福祉士のレポートテーマに対して、教科書を読んでもなかなか理解ができなかったので、地域包括支援センターの主任介護支援専門員と、認知症地域支援推進員を8年務め、現在、地域包括支援センターの管理者の役割を持つ彼女に話を聞くことにした。

 

それにしても日程調整から本当に素早かった。

そして彼女の説明はなんて理解しやすいのだろう。

30分の約束だったが、1時間かけて丁寧に解説をしてくれた。

おかげさまで、レポートはあっという間に仕上がった。

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お礼をいって帰ろうとするわたしに、

「ここからは友達として話をするね」と彼女が言う。

 

「ところで、息子さんはどう?」

 

先日、息子の件で彼女に相談した内容は解決せぬままだった。

夫からの財産分与のお金を友達に貸しておいて、返ってこないからわたしにお金を貸してほしいとLINEでメッセージを送ってきた息子。

わたしが断ったら

「それでも親か!!」と詰め寄ってきた息子。

「お金はない。だから自分でやりくりをして」と答えてからは、わたしはどっぷりと落ち込んでしまった。

暫くは立ち直れずにいたが、今は時薬でなんとか普通に生活を送っていた。

 

「本人に任せています。まだ、解決はしていないのだけど」と返答をした。

 

「実は…わたし長男が亡くなったの」

「3月〇〇日、突然心臓が止まっちゃって。1時間以上心臓マッサージをしてくれたんだけど…。」

 

「えっ?」わたしは耳を疑った。

 

「検死もしたの」

「わたし、なにが何だかわからなくて。でも…次男がいてくれるからまだ救われている」

彼女は続けた。

「長男の人生は何だったんだろうと思う」

 

 

「あの…」わたしは涙が流れて止まらない。

「なんで…」

 

フードコートで食事をしている人がわたしの顔をのぞいているのがわかる。

 

さっきまで、ソーシャルワーカーについて熱く語っていた彼女は声を震わせながら、

「生きていてくれさえすればいい。そう思うよ。」

「生きていてくれたらそれでいい。」

 

この人は身体をはってわたしに生きることを教えてくれるひとなんだ。

わたしはそう思った。

 

意味のある出会い。

わたしに生きるを教えてくれる彼女。

 

今日もきっと飛びまわって仕事をしているに違いない。

 

彼女に負けないように生きよう。

 

そう思う。

 

共有と支え:真のつながりを持つ喜び

大切なお友達と数か月ぶりに会うことにしました。
わたしにとって嬉しくない出来事が重なり、少し彼女の顔を見たくなったからです。

お互い忙しくしているので日程調整も大変でしたがディナーを食べながら、
近況報告をしました。

お会いした翌日、彼女からお礼のメールがあって、それがとてもうれしかったので、記事に残します。

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昨晩はありがとうございました。
あなたのお話をお聞きでき、私もと思える事が。
あなたが家族を
支えながら支えられていたお話があなたの言葉から。

私の話を私の息づかいに
合わせるように
聞いてくださり
私のごちゃごちゃモヤモヤ散らかっていた気持ちが綺麗に断捨離できました。

美味しい紅茶
早速頂き、幸せな気分を味わっています。

遅くまでお付き合いくださりありがとう。

その人の
人としての尊厳を守り
その人らしく生きる為に
尽力されているあなた。
本当に無理しないで。
あなたご自身の姿
そのままが
みなさんの生きる力に
繋がっているのではないのかなーと思います。

また。
楽しみにしています。

 

お友達もわたしとよく似た悩みを抱えていました。

無理をせず自分をまるっと受け入れようと思いました。

 

 

 

記憶を織りなす日々 │夫の存在

以前見た映画ツナグ(たった1人と1度だけ!死者との再会を叶えられるなら…)
 のDVDを借りてみたり、夫が残した言葉をつなぎ合わせて、頭の中で繰り返してみたり、息子に送るために撮った特養での夫の動画を繰り返しみたり…

わたしは今も夫の死から立ち直れていない。

離婚してから数年、夫の存在を意識していない時期もあった。
息子のことで困ると相談はするが、それ以外ではわたしにとって大きな存在ではなかったはずだ。

もっと言うと、夫はわたしにとって話が通じない人。
話すと疲れる人だった。
だからはなれてほっとしていた時期もあった。

夫は人間関係が苦手な人だった。
誰に対しても乱暴な口の利き方をして、人さまを敵にまわしていた。

「俺がそんな男ではないことを知っているだろう…?」

「俺がそんな男ではない事を知っているだろう?」

夫がわたしに残してくれた言葉だ。

わたしが、夫に対してなにか疑うような言葉を発したのだろう。

自分が発した言葉を覚えていないが…

それに対して夫が答えた言葉。

「俺がそんな男ではない事を知っているだろう?」

ふ~ん。って思ったことを覚えている。

夫が生きていた時のわたしの反応だ。

夫はわたしに理解されていると思って死んでいった。

夫はわたしを信じていたのだ。

考えてみた。

わたしは誰かに言えるだろうか?

「わたしはそんな女じゃないって知っているでしょう…」
なんて。

誰にも言えないや。

わたしは誰のことも信じていないのかもしれない。

だから、わたしを理解されているとも思えない。

わたしはなんて寂しい人間だろう。

夫と暮らしていたころ(離婚する前)、近所に住んでいる年配の女性から、
「あなたの家はあなたがいるから成り立っているのね」と言われたのを覚えている。

わたしはそれに対して、もちろんだ!と思っていた。

いま思うと情けない。
大きな勘違いだった。

なぜわたしは夫の死から立ち直れないのか?

生きてくれているだけで頼りになる存在だったからだ。

そう夫がわたしにとって。

生きていてくれるだけで頼りになる存在だった。

夫から守られていた。

それがいなくなってわかってしまった。

情けないことだ。

もっともっと大切にすればよかった。

夫の死から立ち直るためには…

時薬しかないのだろうか。

今日も仏壇に向かい「ごめんね」と謝っている。

今更だなと思いながら。

 

 

 

夫の優しさ│終わりなき感謝と共に

今日は「お父さんのどこがよかったの?」について書きたいと思います。

息子が数回わたしに尋ねたことがあります。

わたしは返答していません。

だから、文章にして残しておきたいと思いました。

いつか息子たちに読んでもらえたらと思います。

わたしは夫を支えられませんでした。

だから、わたしは夫と離婚しています。

離婚してからも夫とわたしを繋げていたのは息子です。

特に長男が障害を持ったことでわたしたちは繋がっていました。

お父さん(夫)を好きになった理由

①優しい

②まじめすぎるほどまじめ

③わたしを信じてくれた

④わたしを可愛がってくれた

⑤一緒にお酒を飲むのが楽しかった

⑥運転が上手だった

⑦花を上手に育てた

⑧農園をやってたくさんのお野菜を上手に作った

⑨野草について本当に詳しかった

➉死ぬ間際、私に感謝の言葉をくれた

 

 

夫の誤嚥性肺炎と最後の言葉

今日は、わたしのおススメする本の紹介をさせて頂きます。

夫(離婚した)が認知症になり、わたしは夫を特別養護老人ホームに入れました。

特別養護老人ホームに入れるまでにも色々な選択肢があり、わたしはたくさんの決断をしてきました。

誤解を恐れずに言うと、特別養護老人ホームは夫にとって刑務所のような場所(本人の表現)でした。

それを本人から聞いていたのに、わたしはどうすることもできませんでした。

そして、わたしは自分のことを責めました。

わたしは夫の人生をわたしの意志で勝手に決めてしまった。

夫はわたしなんかと結婚しなかったらこんな思いをせずに済んだのかもしれない。

考えると申し訳なくて頭が狂いそうでした。

信頼できるケアマネMさんに泣いて相談したことも一度や二度ではありません。

その度、ケアマネMさんはわたしに丁寧に接してくれました。

色々なアドバイスをくれて「どの選択肢をとってもどうしても後悔は残る」と慰めてくれました。

ある日、救いを求めて本屋に立ち寄ると目の前に見えたのがこの本でした。

わたしは数ページ立ち読みし、この本を購入することにしました。

 

「わたしが、認知症になったら 介護士の父が記していた20の手紙」
という本で、2022年の11月に購入し、夫が亡くなる日まで何度も読み返していました。

 

以下は、冷静に文章を続けます。

問題提起

問題提起として
認知症いずれ訪れる介護する日、される日について考えること
②著者の原川さんと一緒に働いていた医師の感想から考えること
とさせていただきます。


「みなさんは認知症について考えたことがありますか?

厚生労働省のHPを見ると、日本における65歳以上の認知症の人の数は約600万人(2020年現在)と推計され、2025年には約700万人(高齢者の約5人に1人)が認知症になると予測されており、高齢社会の日本では認知症に向けた取り組みが今後ますます重要になるとされています。


わたしは仕事でお年寄りの方に対して、少し離れたところから見ていますが、実際に身近で「認知症と言う問題」に直面したとき、家族はそれぞれが思い思いに苦しみます。


これは、わたしが認知症当事者(以下当事者)の身近に身を置くことになって知ったことですが、認知症は、本当に少しずつ、少しずつ進行していき、一見すると良くなった様に感じられる日もあります。


そして当事者は、自分が少しずつおかしくなっていることを理解しており、自分が自分でなくなっていくかのような強い不安や絶望を感じて苦しみます。

例えば、眠れない夜中に紙に自分の名前や家族の名前を書いていたりします。


家族はその当事者の苦しい胸の内を聞いてあげる役割もしなければなりません。そのため肉体的にも精神的にも追い詰められます。

 

認知症と言う問題」に直面したとき、家族は本当に苦しみます。


認知症について理解を深めようと思い本屋へ行くと、認知症の予防・原因・症状・対処法について書かれた本は数多くありますが、今日わたしが紹介する本は、ちょっとそれとは違います。

 

わたしにとってのこの本は、身近にいる人が認知症になり、やむを得ず施設に預けることになった時、施設に入れる事への罪悪感を少しだけ解消してくれるものでした。


言葉に出来ないもやもやした気持ちに対して、〝こう言う捉え方をしたら良いのだよ〟と助言をもらっている様な気持ちになりました。


今、話したような家族の悩みがすこし楽になるそんな本です。
そして、以下読者のメリット②で説明していますが、障害者支援の仕事においても役立つ内容が書かれています。


「わたしが、認知症になったら 介護士の父が記していた20の手紙」


本書は、さまざまな介護の現場を20年以上務め、現在は、介護士の指導育成、ならびにコンサルティングを行う著者が、自分が認知症になったときのために、娘に向けて書いておいた手紙という体裁をとりながら、誤解されやすい認知症患者の実際から、基本的な医学情報、介護保険を受ける際の手続きの知識まで、実感こもる豊富なエピソードで、書いているやさしい手引きであり、これから家族が、そして自分自身が認知症になるかもしれない私達への「手紙」でもあります。

 

「わたしが、認知症になったら 介護士の父が記していた20の手紙」


第一章何よりもまず伝えたいこと
1 お前は何も悪くない(要約)
あのとき、ああしていれば、父さんは認知症にならなかったんじゃないか?
私がもっと早く気づいていれば、どうにかなっていたんじゃないか?
お前は優しい人間だから、そんなふうに自分を責めたり、いままでを後悔したりするかもしれない…中略
たしかに世の中に出回っている情報には、脳トレや運動をしていれば認知症は防げるとか、孤独が認知症を助長するとか、早期発見・早期対応で認知症は治るとか、お前の後悔を誘うものもあるだろう。
そんなもの、鵜呑みにするな。
少なくとも「絶対」ではないのだ。
その証拠に…中略
早期発見、早期対応は、ときに「早期レッテル・早期絶望」になることがある。発見が遅れたおかげで、父さんは「認知症の人」ではなく、それまで通りの父さんとして過ごせる期間が延びたとも言えるんだ。
だから、決して自分を責めるな。
父さんが認知症になったのは、「たまたま」だ。お前は、何も悪くない。

 

【著 者】
原川大介(はらかわだいすけ)焼津市出身

 

この本「わたしが、認知症になったら 介護士の父が記していた20の手紙」を読むメリットについて


読者のメリット①
本書は、第一章「何よりもまず伝えたいこと」第二章「お前が楽になるために」第三章「介護サービスの利用にあたって」第四章「とても大切なこと」という四章で構成されており、「お前は悪くない」「お前の名を忘れても」「家族間で揉めたときは」「施設に入ることは、父さんの不幸でもお前の諦めでもない」「手厚い介護を受ける方法」「死について」等の、娘に向けた20の手紙形式で書かれています。実感こもる豊富なエピソードで書かれているので当事者の心情を理解するのに役立ち、当事者が「認知症患者」である前に「ひとりの人間」であることが鮮明に感じられる一冊だと思います。

 

読者のメリット②
娘に向けた手紙6つめに「話が通じない・言いたいことがわからない」というときにどうしたら良いのか書かれています。「相手に話が通じない・相手の言いたいことがわからない」というときにどうしたら良いのかについては、認知症の当事者だけが対象ではなく、人間関係においても、更に言うと障害者支援の仕事においても役立つ内容が書かれています。

 


例①(本の内容を直接引用しています。)が、
父さんと母さんが喧嘩したときも、そうだったろう?父さんは、いつも母さんの言いたいことがわからなくて、「何を言っているかわからない」「なぜ怒ってるんだ?」とついそう言うと、母さんは更に怒っていた。でも「母さんが何を言っているか」にこだわらずに、とにかく母さんの怒りを受け止めていると、母さんの怒りは次第に勝手に収まった…。

例②
更に娘に向けた手紙7つめには、「父さんが嘘をついたときは」について書かれていますが、これも良く嘘をつく障害のある利用者さんの支援に役立つことが書かれています。なので、ぜひ立ち読みでもいいので本を手に取ってみてください。

著者の原川さんと以前一緒に働いていた医師の感想を本のレビューから

つぎに◎著者の原川さんと以前一緒に働いていた医師の感想を本のレビューから見つけましたので、一部直接引用しています。

著者である原川さんが活躍されていた〇〇(施設名)は、過去に自分が関わった施設の中で最も素晴らしいと感じる施設でした。
○○では、利用者さんについて「何を聞いても必ず答えが返って」来ました。
「普段あまり接しないからわからない」「担当じゃないから知らない」といったお返事がありませんでした。
「こんな方で普段はこんな事をしている、こんなことを喜ぶ」といった情報は勿論、ご家族の性格や家庭環境のお話まで伺ったこともあります。
これはチーム全員が利用者さんたちにとっての最良を目指し、深く考え、支えていく、そんな風土があるからなのだと思います。
そして大変センエツですが、自分もその利用者さんたちを支えるチームの一員として、診療に参加させて頂けた、そう思っています。
現在、自分は東京都内の医療機関での訪問診療中心に、診療を行っています。静岡の施設に行く事はなくなりましたが、やはり同じような認知症の方や、癌の末期の方、またさまざまな理由で一人で暮らせないにも関わらず、施設に入る事もできない方など、色々な方を診療しています。普段意識づけはしているつもりなのですが、ともすればやはり「病気、病人」と診がちになります。どうして薬を飲んでくれないんだろう。どうしてこの良い治療方法に納得してくれないんだろう。そう思うことが、本当によくあります。しかし今回、貴著を拝読して、これまでの患者さんの人生経験の結果として、今の表現型がある、という視点に改めて気付かされました。恥ずかしながら大変勉強になりました。明日からの診療にも、活かして参ります。

という内容です。

 

まとめ│最後に

夫とわたしが最後に交わした言葉は、

数分~数十分、夫の顔を見た私が「じゃあ帰るよ」

とかけた言葉に、

「すぐ!」

と一言だけはっきりと返した夫の意志(おまえはすぐに帰ると言う!)のある言葉でした。

夫が誤嚥性肺炎で入院した市立病院で亡くなる数週間前の会話です。

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精神保健福祉士の養成講座を受講して学ぶ苦悩と成長

わたしは精神保健福祉士の養成講座を受講している。

受講する中で学ぶことが多く、知って苦しむ内容も多い。

しかし、息子のことを親として、でもなるべく客観的に支援するために、現実を受け止める必要がある。

精神障害者の家族の法的位置づけの変遷

精神保健福祉士として精神障害者の家族の法的位置づけの変遷についてはフリーハンドで人に説明できるようにしなくては役不足だ。

精神障害者家族は、近代における最初の精神病者に関する法律

精神病者監護法」(1900(明治33)年)以来本人の治療・入院に関する過大な責任を背負ってきた歴史があり、家族の義務規定の問題は相当長い歴史的経過を有している。

ソーシャルワークの理論と方法 中央法規より

その後、1950年 精神衛生法

    1965年 精神衛生法改正

    1993年 精神保健法改正

    1999年 精神保健福祉法改正

    2013年 精神保健福祉法改正

となり、精神障害者家族の法的位置づけが変わってきている。

1965年精神衛生法改正までの65年もの間、私宅監置は廃止されていなかった。

そして、家族は、1993年の精神保健法改正まで、精神障害者の保護義務者と位置付けられていた。

2013年の精神保健福祉法改正で保護者制度は廃止されたが、民放第714条では家族などの扶養義務者の監督義務者の責任が定められている。

たとえば、何らかの疾患を有していて責任能力がない人が第三者に損害を与えた場合、その監督義務者がなすべき行為をしたがどうかによっては損害賠償の責任を負うことになる。生活全般にわたって監督義務を果たすことが求められる民法上の家族に対する法的義務は今もなお検討されずにある。

 

家族病因論

家族病因論とは、統合失調症の発病の原因が家族、特に親にあるとする理論で、1950年代から1970年代のアメリカで多く唱えられた。

先日、子供の行動に悩んだ私は、この内容を見て更に打ちのめされてしまった。

フロムライヒマンと統合失調症を作る母

母親の言語的表現と非言語的表現の間には矛盾が見られる。父親は弱く、受動的で、病者との関係は希薄であり、時に子供に対しては拒否的である。 

 

 

グレゴリー・ベイトソンダブルバインド

ダブルバインド・セオリー
1956年にグレゴリー・ベイトソンによって発表された説である。家族内のコミュニケーションがダブルバインド・パターンであると、その状況におかれた人が統合失調症に似た症状を示すようになる、と指摘する説である。

 

わかりやすく喩えると、親が子供に「おいで」と(言語的に)言っておきながら、いざ子供が近寄ってくると逆にどんと突き飛ばしてしまう(非言語的であり、最初の命令とは階層が異なるため、矛盾をそれと気がつきにくい)。呼ばれてそれを無視すると怒られ、近寄っていっても拒絶される。子は次第にその矛盾から逃げられなくなり疑心暗鬼となり、家庭外に出てもそのような世界であると認識し別の他人に対しても同じように接してしまうようになる。

そして以下のような症状が現れる、とした。

言葉に表されていない意味にばかり偏執する(妄想型)
言葉の文字通りの意味にしか反応しなくなる(破瓜型:はかがた)
コミュニケーションそのものから逃避する(緊張型)
統合失調症との関連性
なお、統合失調症そのものの原因については現在も不明な点は多く、「統合失調症の原因=ダブルバインド」と短絡的に考えることには問題がある

ウキペディアより

 

しかし、色々調べてみると、

統合失調症(精神病)とその「原因」、子育てとの関係 | 岐阜県多治見市の心療内科・精神科 水谷心療内科|ネット予約可能

このようなことも書かれていた。

何が正しいかどうかは不明であるが、ダブルバインドは子育てのみならず人間関係においても注意すべき点だと考える。

不出来な自分だが、人生を全うするまで少しずつでも成長できればと思う。

未来への不安│親子関係と将来の不安

お金を貸すということ│統合失調症寛解の息子の場合

「ごめん、友達にお金を貸しているんだけど○○日までに返せないって言われたから罰金が支払えない。

だからお金を立て替えてほしい。

払えないと半年刑務所に入らないといけないから…。すぐに返すからお願いします。」

2月10日(土)午前10時30分過ぎ、息子からこの内容のLINEが入った。

罰金は昨年末に息子が起こした交通事故の罰金だ。

金額は40万円。期日はその3日後だ。

 

息子とわたしは今も同じ家で暮らしている。

なのに、LINEでしかもこんなにぎりぎりになって…。

息子にとってもわたしにとっても40万円の罰金はすぐに用意できるものではない。

息子はお金を支払える状況にあった

しかし、息子はお金を支払える状況にあった。

息子の父親が昨年の9月に亡くなり、この1月初めに夫の財産のすべてが子供たちの手に均等に渡ったからだ。(わたしは12年前に離婚している)

そう、彼の父親からの財産分与で交通事故の罰金は支払えるはずだった。

しかし、その財産分与のお金が現在、息子の手元にない。

息子は友達に貸したというが、本当に貸したのか使ってしまったのかわからない。

息子に立て替えるお金が用意できない

「お金は用意できない。わたしにはそんなお金はない」

わたしは息子の顔を見て正直にそう伝えた。

「そんなわけないだろ。たった数十万円のお金がないなんて…。じゃあ通帳を見せて」

息子は怒りをあらわにする。

「あなたに通帳を見せる理由がない」

わたしがそう答えると息子は「それでも親か!!」と言い放った。

息子からすると思い通りにお金を出さないわたしをののしりたかったのだろう。

「じゃあ、買ってあげた財布返して」

息子はそう言った。

財産分与の後に、「父さんからの母さんへの最後のプレゼントとして買ってあげる」と息子が言うので、息子と一緒にデパートに買いに行った財布。

時間をたっぷりかけて色々見て購入したから心から嬉しくて仲間にも自慢した。

お財布を自慢したんじゃなくて優しい息子を自慢した。

お財布は購入後、誰にも見せていなかったのが救いだった。

もったいなくて暫く使えなくて写真に撮ったり飾ったりしてやっと運気のいい日におろした財布。

わたしは、財布を息子に返すことをすぐに了承した。

「わかった」

まだ、おろしたての財布をそれを包装してあった箱や紙袋と一緒に息子に渡した。

息子はそれを当たり前のように受け取り、ブランド品買取店に持って行きお金にかえた。

こんな状況の時わたしならこうする

わたしは息子にわたしならこうすると伝えたかった。

息子は安易にお金の貸し借りをして、過去に2回程わたしは辛い思いをしている。

わたしは息子のお金の問題にいちいち巻き込まれて心底辛くなった過去がある。

「わたしなら、自分の持ち物を売ったり、まずは自分の出来る事を考えるよ。」

「これを機会に働いてほしい。」

わたしはそう伝えたが息子は、

「俺は障害年金から月々2万5千円を家に入れているし、浄化槽のブロワ―が壊れた時も半分出しただろ、俺は母さんが困った時に助けてるだろ」

「FXの勉強をする、今は働く気はない」

そう答えた。

息子にとっては困った理由(原因や事の経緯)など関係ないのだろう…。

わたしは決して困っているから月々お金を入れてもらっているわけではない。

生きるって本当に大変だから、生活って本当に大変だから、親亡き後が心配だから、

わたしが生きている間に、まだ息子に向き合える元気がある時に、ひとりで生きる事の苦労を伝えているつもりなのだが。

多分、わたしが息子に伝えたいことはきっと死ぬまで伝わらないんだろうと思った。

正直何もかもが嫌になった。

「それなら、家から出て自分の力で生活して欲しい。

あなたと一緒にいるわたしが生きる気力をなくしてしまう。

わたしはコツコツ働いているが、たくさんの給与をもらっているわけではない。

だから資格を取って少しでも給与アップに繋がるように勉強をしているんだよ。」

相談支援専門員に相談をした

自分が無力だと感じた私は、息子が就労移行支援事業所でお世話になった時に相談していた相談支援専門員へこの内容の相談をした。

支援員はわたしの話を丁寧に聴いて下さった後、わたしの身体を心配してくれた。

そして今ある制度で息子が利用できるものは何もないことの再確認をした。

息子が困って相談をしてきてくれるのなら話をすることができるし、そこから広げることも可能かもしれないが、息子が自ら連絡をしてこない限り難しいと言うこと。

それはそうだと納得をした。

この一件を話せただけでも良かったとわたしは思うことにした。

息子の主治医への報告と相談

わたしは数年ぶりに息子の通院しているクリニックへ連絡をした。

息子の主治医にアドバイスをもらいたかった。

先生なら何か方法を提案してくれるかもしれないと思った。

電話をすると、受付の介護事務の若い女性が

「今日は混みあっていますが、医師がお母さんと話す時間をとれるか確認しますので30分後に再度電話をおねがいします」と言ってくれた。

30分後に電話をすると、今日の午前中の診療後の14:30頃に医師から電話をくれることを約束してくれた。

医師は(離婚した)夫が亡くなった後のわたしの心身を心配してくれたのか、

「お母さんは元気?」と息子に聞いてくれたことがあった。

その優しさにわたしは感謝していた。

実際、夫が亡くなった後「わたしにとって夫は生きていてくれるだけで心強い人だったんだ」とつくづく思った。

息子が障害者になってからは身近な相談相手としてずっと心の支えにしていたのだと思う。

亡くなる前の数ヶ月はわたしのこともわからなくなってしまった夫だけれど、それでも生きていてくれるだけで心強かった。

話を戻すが、

医師から電話があると事前に手帳に書いた順番で現状の説明をした。

医師からは「今こんな方法があるとすぐに返答はできない」と言われた。

「100万も本人に渡したんですね」と怪訝そうに言われたので、渡さないと責められることを説明した。

確かに困難事例だ。

ただ、現状を医師に説明できたことに感謝をした。

医師からは「今ある病状を悪化させないことが医者の仕事だ」と聞いたことがある。

だとすると、医師のおかげで息子は統合失調症寛解状態が続いていることに感謝しなければいけない。

入退院を繰り返すことの大変さを回避できているのはこの医師の力が大きいとわたしは常々思っている。

息子は自分の友達からお金を借りた

支払期限の日の朝、息子は自分の友達3人からお金を借りたと話した。

40万のうち、18万は自分で用意して、11万は3人の仲間から借りた。

残りの11万は今なお準備できないと言う。

息子はこうして行き当たりばったりで生きて行くのだろうか。

息子の顔を見て、わたしは一緒に警察に相談へ行こうと話した。

警官はまずは検察庁へ連絡するようにアドバイスをくれた

わたしは息子と警察へ相談へ行った。

息子は渋々ついてきた。

本当のところ、不足分の11万はわたしに出させて、罰金を支払いたかったのだろう。

しかし、わたしはそうしたくなかった。

警官は丁寧に対応してくれ、検察庁へ連絡するように説明をした。

息子はわたしの前で検察庁に電話をして、40万円の罰金全額支払い意思があること。

そして、支払期日について明確に説明をした。

検察官は納得した様子で2週間後に支払期日を再設定してくれた。

息子は障害年金を罰金の残金にあてることにしたようだ。

まとめ│親のわたしが甘えさせるから悪い

文章を読んでいてそう思った方が多いのではないでしょうか。

しかし、わたしは今どうするすべもなく、息子はと言うと、甘えているつもりはないでしょう。

そして息子はわたしが息子を思う気持ちを理解できていないと思います。

このまま、わたしが高齢となり、心身の不調で働くことができなくなった時、どうなることかと考えます。

もちろん、息子のことです。

息子がわたしの変わりに次男を巻き込んでしまわないか不安です。