記憶を織りなす日々 │夫の存在

以前見た映画ツナグ(たった1人と1度だけ!死者との再会を叶えられるなら…)
 のDVDを借りてみたり、夫が残した言葉をつなぎ合わせて、頭の中で繰り返してみたり、息子に送るために撮った特養での夫の動画を繰り返しみたり…

わたしは今も夫の死から立ち直れていない。

離婚してから数年、夫の存在を意識していない時期もあった。
息子のことで困ると相談はするが、それ以外ではわたしにとって大きな存在ではなかったはずだ。

もっと言うと、夫はわたしにとって話が通じない人。
話すと疲れる人だった。
だからはなれてほっとしていた時期もあった。

夫は人間関係が苦手な人だった。
誰に対しても乱暴な口の利き方をして、人さまを敵にまわしていた。

「俺がそんな男ではないことを知っているだろう…?」

「俺がそんな男ではない事を知っているだろう?」

夫がわたしに残してくれた言葉だ。

わたしが、夫に対してなにか疑うような言葉を発したのだろう。

自分が発した言葉を覚えていないが…

それに対して夫が答えた言葉。

「俺がそんな男ではない事を知っているだろう?」

ふ~ん。って思ったことを覚えている。

夫が生きていた時のわたしの反応だ。

夫はわたしに理解されていると思って死んでいった。

夫はわたしを信じていたのだ。

考えてみた。

わたしは誰かに言えるだろうか?

「わたしはそんな女じゃないって知っているでしょう…」
なんて。

誰にも言えないや。

わたしは誰のことも信じていないのかもしれない。

だから、わたしを理解されているとも思えない。

わたしはなんて寂しい人間だろう。

夫と暮らしていたころ(離婚する前)、近所に住んでいる年配の女性から、
「あなたの家はあなたがいるから成り立っているのね」と言われたのを覚えている。

わたしはそれに対して、もちろんだ!と思っていた。

いま思うと情けない。
大きな勘違いだった。

なぜわたしは夫の死から立ち直れないのか?

生きてくれているだけで頼りになる存在だったからだ。

そう夫がわたしにとって。

生きていてくれるだけで頼りになる存在だった。

夫から守られていた。

それがいなくなってわかってしまった。

情けないことだ。

もっともっと大切にすればよかった。

夫の死から立ち直るためには…

時薬しかないのだろうか。

今日も仏壇に向かい「ごめんね」と謝っている。

今更だなと思いながら。