大切な知人。
この人なしに今のわたしはいない。
夫の介護の相談から始まり、夫の死後も頼りになる相談相手として障害を持つ息子のことについても相談できる、数少ない知人だ。
今回のお願いも快く受けてくれた。
とても忙しい人なのに。
本当は、こんな要件断ることもできただろうに。
「地域コミュニティの主体としてのソーシャルワーカーの役割を考察しなさい。」
精神保健福祉士のレポートテーマに対して、教科書を読んでもなかなか理解ができなかったので、地域包括支援センターの主任介護支援専門員と、認知症地域支援推進員を8年務め、現在、地域包括支援センターの管理者の役割を持つ彼女に話を聞くことにした。
それにしても日程調整から本当に素早かった。
そして彼女の説明はなんて理解しやすいのだろう。
30分の約束だったが、1時間かけて丁寧に解説をしてくれた。
おかげさまで、レポートはあっという間に仕上がった。
お礼をいって帰ろうとするわたしに、
「ここからは友達として話をするね」と彼女が言う。
「ところで、息子さんはどう?」
先日、息子の件で彼女に相談した内容は解決せぬままだった。
夫からの財産分与のお金を友達に貸しておいて、返ってこないからわたしにお金を貸してほしいとLINEでメッセージを送ってきた息子。
わたしが断ったら
「それでも親か!!」と詰め寄ってきた息子。
「お金はない。だから自分でやりくりをして」と答えてからは、わたしはどっぷりと落ち込んでしまった。
暫くは立ち直れずにいたが、今は時薬でなんとか普通に生活を送っていた。
「本人に任せています。まだ、解決はしていないのだけど」と返答をした。
「実は…わたし長男が亡くなったの」
「3月〇〇日、突然心臓が止まっちゃって。1時間以上心臓マッサージをしてくれたんだけど…。」
「えっ?」わたしは耳を疑った。
「検死もしたの」
「わたし、なにが何だかわからなくて。でも…次男がいてくれるからまだ救われている」
彼女は続けた。
「長男の人生は何だったんだろうと思う」
「あの…」わたしは涙が流れて止まらない。
「なんで…」
フードコートで食事をしている人がわたしの顔をのぞいているのがわかる。
さっきまで、ソーシャルワーカーについて熱く語っていた彼女は声を震わせながら、
「生きていてくれさえすればいい。そう思うよ。」
「生きていてくれたらそれでいい。」
この人は身体をはってわたしに生きることを教えてくれるひとなんだ。
わたしはそう思った。
意味のある出会い。
わたしに生きるを教えてくれる彼女。
今日もきっと飛びまわって仕事をしているに違いない。
彼女に負けないように生きよう。
そう思う。